江戸時代後半、貧困が原因で笠岡城山から海に向けて投身自殺が頻繁に起きた為、緊急で建てられた慰霊碑。
江戸時代、城山の西側には観音堂があり、慰霊碑はその堂の近くにありました。
しかし、廃城後の城山切り崩しによって慰霊碑が行方不明に。
明治時代に碑の下半分、大正時代に碑の上半分が海中から見つかり、元の場所から、やや離れた現在の位置に上下をくっ付け祀られています。
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