草牟田墓地(陸軍火薬庫跡)とは鹿児島県鹿児島市にある墓地・慰霊碑の心霊スポットで「そうむたぼち(りくぐんかやくこあと)」と読みます。草牟田墓地(陸軍火薬庫跡)では少年の幽霊・男性の幽霊・正体不明の幽霊が目撃されているため心霊スポットと呼ばれています。
この墓地は草牟田火薬庫跡(陸軍火薬庫跡)に造成されており、この火薬庫は西南戦争の発端になった場所と言われている。
明治初年(1868)に薩摩藩がこの場所に火薬庫を建設し、廃藩置県後にその管轄は陸軍に移る。次第に鹿児島県内で反政府的な雰囲気が強くなると、火薬庫の存在を危険視した明治政府は、秘密裡(ひみつり)に武器・弾薬を船で大阪に移そうとする。しかしこの政府の動きを知った私学生徒が激怒し、火薬庫を襲撃するという事件に発展した。
1877年1月29日、私学校の夜間生徒3人で始まった襲撃は、翌30日にはすでに1000人規模の襲撃に発展していた。事態の収拾が不可能とみた西郷隆盛は、2月15日に熊本へ出兵し西南戦争が始まった。
この事件に関与した者の霊なのだろうか、この場所ではいまだに霊が徘徊している、心霊写真が撮れるなどの噂がある。
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