八重岳野戦病院跡とは沖縄県国頭郡本部町にある幽霊病院で「やえだけやせんびょういんあと」と読みます。八重岳野戦病院跡では男性の幽霊・女性の幽霊が目撃されているため心霊スポットと呼ばれています。
ここは、一九四五年(昭和二〇)の沖縄戦の時、国頭支隊(球七〇七一部隊、俗称宇土部隊)の本部壕と、沖縄陸軍病院名護分院(八重岳野戦病院)のあった跡である。
国頭支隊とは
飛行場のある伊江島の保持と、本部半島を中心に国頭郡内でゲリラ活動をして米軍を撹乱、釘付けにし、本島中、南部の作戦を容易にすることを任務とした。
宇土部隊(隊長 宇土武彦大佐)は、大分・鹿児島・宮崎・熊本・沖縄の各県出身の将兵によって編成され、伊江島守備隊の第一大隊と、本島守備隊の第二大隊、砲兵隊、遊撃隊(護郷隊)、鉄血勤皇隊、防衛隊等から成る兵員約四千人である。
戦闘
八重岳、真部山に布陣する国頭支隊は、四月十一日頃から米軍の空爆と艦砲射撃を受け、十三~十六日にかけて西海岸の渡久地方面と東側の伊豆味から進撃する米海兵隊の猛攻に合い、真部山で激しい攻防戦となり日本軍に多数の死傷者が出た。
十七日米軍は遂に八重岳北東頂上を占領、十八日敗走する宇土部隊を追撃して掃討戦は四月中続いた。
一方宇土隊長は四月十六日、米軍の伊江島上陸を機に八重岳、真部山の陣地を放棄し、遊撃戦に移ることを命じ、第二遊撃隊のいる多野岳に後退した。その際、八重岳の野戦病院には多くの負傷者が遺棄され、この一帯は悲惨を極めたといわれる。
この本部半島地域における戦闘で、軍や町役場の命で山中に避難した住民は却って戦火に巻きこまれ、軍人、軍属を含む町民一七五三人の尊い生命が失われた。
心霊現象
摩文仁ひめゆりなどの南部に比べると話題にならないが、ここも心霊現象がある。
具体的には肝試しに行った人が、どこからか痛いよやおかあちゃん等の声や急に連れが意味不明な事を言ったりする、体が誰かに乗っけられているぐらい重く感じるといった事が報告されている。
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