千日デパート火災現場跡は幽霊が出る心霊スポットとしても知られています。千日デパート火災現場跡で一体何があったのか、どんな心霊現象や事件が起きているのか。
大阪府にある千日デパート火災現場跡で実際に体験した怖い話を紹介します。
第1話「心霊好きで心霊体験がない友人を現場に連れて行った時の出来事」
友人に面白い人がいます。
心霊現象は大好きだが、一度も体験がないので、どこか連れて行ってほしいと言うのです。
仕方がないので、難波に食事に行くついでに、ビックカメラの一酸化炭素中毒で多くの方が犠牲になったフロアに
連れていきました。(つい最近の話です)
建物に入る寸前で友人が急に「喉が渇いた・・喉が渇いた・・」といって何本か缶ジュースを買いました。
「あれ?」と彼は、不思議な行動をとりました。
あれほど「喉が渇いた」と言っておきながら、一本もジュースは飲まず、数本全てショルダーバッグにしまい込み
バッグのチャックを大事そうにキッチリ閉めるのです。
両面鏡張りのエスカレータを上り、現場の「おもちゃ売り場」についた途端・・
すごい音がしました。
振り返ると、友人の買った缶ジュースの缶のみが・・全て・・
四方八方の床に落ちて、転がっていました。
閉めたはずのショルダーバッグのチャックは全開
中には他に落としそうな小物がたくさん入っていましたが
缶ジュースのみがバックから飛び出ていました。
友人はそのフロアで普通に歩いている時、突然起こったそうです。
元論 こけたり、何かにつまずいたわけではありません。
それに・・・
チャックは下から上方向に閉められており、本来なら缶ジュースより上に入れた小物が先に落ちるはずですが・・
なぜか、買った缶ジュースのみ落下し、四方に転がっていました。
それ以来、彼は心霊現象を信じるようになりました。
第2話「道頓堀にてグリコの写真を撮った際」
今から2年前の年末年始。
友人との旅行先で道頓堀を訪れました。
その時は三重、京都などを巡り最終日大阪に行った時でした。
私は、千日デパートの存在もましてや火災があった事も知りませんでした。
初めて道頓堀に行った私は有名なグリコをスマホで撮影しました。
帰宅後、旅行先で撮った写真を見返していました。
何気なく眺めていると、道頓堀で撮った写真が気になりました。
写真を撮った時、右端に3人家族が写っていたのは知っていました。
一番前でしゃがんで自撮り棒を持っているお父さん。
お父さんの後ろには5歳ぐらいの男の子。
そして一番後ろにはグリコのポーズを決めているお母さん。
ですが、その写真には明らかにもう一人男の子が不自然に写りこんでいました。
その男の子はお母さんと子供の間に存在し、両手をお母さんのほうに向けて抱きつこうとしていました。
その不自然さは3つあります。
1つ目はその子の頭やズボン、足が見えないところ。
同じ大きさの人間の頭が仮にちょうど隠れたとしても、足まで完璧に隠せることは不可能に近いです。また、その子は同じ服を着ていました。
2つ目は母親の目線です。
普通写真を撮る時、我が子が自分の方向を向いている場合正面を向かせようとします。もしくは視線だけでもその子のほうに行ってしまいます。
3つ目は写っている子供の手です。
その子の手は明らかに他に写っている人間の肌よりも白いです。
子供だからと思うかもしれませんが、手は傷だらけで黒い部分も沢山目立ちました。
考えすぎ。そう言えば済む話で私もそれを知るまであまり気にしていませんでした。
ですが、千日デパートが火災で沢山の方が亡くなった事。
そして調べると当時ホストの男性の1人息子がその火災で亡くなっていた事。
その息子さんの年が5歳だったということまで分かりました。
もちろん今回撮られた写真とその関係性があるのかは謎ですが、未だに成仏できていない方々が大勢おられることに対してご冥福をお祈り申し上げます。
第3話「窓のない+エスカレーター一面左右合わせ鏡になっている電化製品店ビル」
昨日、プリンターのカートリッジ買いにそのビルいった。
おかしかったこと
①窓がすべて閉鎖されており、水晶かガラスのような白い石(魔除け?)が無数に埋め込んであった@閉鎖窓
②駐車場脇に焼死者118人の慰霊の祠があり、線香がいつもついている
③エレベータ乗ると左右一面鏡張りの無限鏡(合わせ鏡)になっていた
④1-3階にエスカレータであがると合わせ鏡の四枚目だけ、左側の鏡に私の前に4人髪の毛が焼け焦げた女性が写っていた。
⑤もちろんその時、エスカレータに乗っていたのは私の前には誰もいなかった。
⑥もしいたら、四枚目だけでなくすべての合わせ鏡に4人の女性が映るはずだが・・なぜか4枚目だけにうつっていた。
⑦階数はわすれたが天井と左右の柱一面に鏡張りしてる階につくと 女性たちは消えた。
第4話「ビックカメラの時」
今から10年ほど前のこと。
日本に出稼ぎに来ていた中国人の友人となんばに行った時、日本の家電を見たいとのことでビックカメラに入りました。
店に入った途端目の前が霞んで見えて、なんか得体の知れないものがいるような、薄気味悪いものを感じました。
「早く出よう。」と言ったのですが、友人は「何言ってんの?」って感じで取り合いませんでした。
結局友人に付き合って見たい家電を見て店を出たんですが、出るまでずっと得体の知れない不気味な感覚が続きました。
この体験からしばらく後、ここが千日デパート火災のあったところであると知り、納得しました。
今はもう近づくことすら出来ません。
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ここはこの火災とか刑場とか以前に、400年以上前から曰くのある土地です
千日前の名は「千日念仏」を当地にあった寺で唱えたことから来ていて、その千日念仏を唱えて供養していたのは大坂夏の陣・冬の陣で亡くなった豊臣方の重臣やら兵士やら…
あれ以来、政権の交代はあれど日本の事実上の中心は江戸(東京)に取られたまんまで、豊臣氏も滅亡していますから、この時の兵士さんたちの気持ちはずっと浮かばれないわけです
それでから後には刑場が出来て、そしてその土地を明治になって売り払う時にも買い手がつかないからと1坪5円(当時の価格ですから500万円とかそこらですね)つけて引き取って貰うなんてことをやって、当時強欲で知られていた婆さんが譲り受けたんですが、一生後ろ指を刺される人生だったとか…
そしてこれはあまり知られていないのですが、その後一度大正になるまでに大火災で当時の建物が燃えているのです、この時周辺の遊郭も共に燃えておりまして、当時の遊女さんや芸妓さんがたくさん亡くなられました
その後当地は楽天座と言われる娯楽施設、大阪歌舞伎座と次々代わりましたが、驚くことに戦時中の建物が被災を免れ残りました、この頃は大衆が楽しむための設備だったのですね
しかし戦後は関西歌舞伎が廃れたことにより、持ち主が雑居ビルである「千日デパート」に改装し、後の悲劇を迎えます
後にミナミの繁華街の中心部に無残な残骸を10年以上晒しながら放置を続けていたのですが、ある日ダイエーが買い取って百貨店「プランタン」をここに作ったのです、しかし当初からあまりに心霊現象が多く、またイメージが暗すぎるという理由から、お客さんはみんな既存の高島屋などに流れどうにもならず廃業しました
今でも感じる人はすごく感じるようですが、プランタン当時のオーラは素人目に見ても相当危なかったようです、今の魔除け施設も基本的にはプランタン時代に施されたものを引き継いでいます
実はビックカメラがこの物件の居抜きで入ることになった際、近くに電気街があるのになぜ電器屋を入れるのかと批判もあったらしいです
しかし界隈の責任者が重い口を開いて語ったことには「この地には綺麗で着飾った若い女性を中心とした施設は作ってはアカンのや、大衆が楽しむ施設にせなここで不幸にあった人らが怒るんや…」
プランタンは百貨店ですから、やはり傾向として着飾った女性の利用を想定しています
千日デパート火災の犠牲者の多くは、7階のキャバレーからです、着飾った若い女性たちが男の方を相手するための施設…それは大火災の前、当地にあった遊郭に通じるところがありました
そうした夜の街は、もちろん進んで働く方もおりましょうが、不幸な身の上話から止む無く働く方も多いでしょう
敗軍の兵、処刑で亡くなった人たち、歴々の強欲な所有者たち、そして様々な経歴を持つ夜の女性たち…
この地に収まる怨念は1つや2つの歴史では済まされないほど、秀吉の時代から400年以上積み重なったものが渦巻いています
そしてそれをかろうじて抑え込めるのは、かつての「楽天地」のような老若男女が楽しめる施設なのでしょう
名無し
引用:千日デパート火災現場跡 - 全国心霊マップ