さとしちゃん像(緑ヶ丘霊園)は幽霊が出る心霊スポットとしても知られています。さとしちゃん像(緑ヶ丘霊園)で一体何があったのか、どんな心霊現象や事件が起きているのか。
神奈川県にあるさとしちゃん像(緑ヶ丘霊園)で実際に体験した怖い話を紹介します。
第1話「さとしちゃん像の碑文」
このさとし君とほぼ同年代、40代後半です。
この件は昭和55年頃には既に全国的に知られており、当時遠隔地の小学低学年だった私も、心霊スポット特集の本で読んでいました。たしか中岡俊哉さんのご著書だったと思います。
今は消された碑文もその本に載っており、園のお友達の作文といった雰囲気で
「さとしちゃん きみはいま やさしいみほとけさまのおむねにいるんだよ こんどまた おすなばであそぼおうね」
という内容でした。前半やや曖昧ですが、誤字を含め、こんな感じです。
当時の幼心にも、いかにも大人に書かされたような前半と、いかにも幼児らしい、事故を受け止めきれない後半のギャップが印象に残って、覚えています。
ただ内容が内容なので、読んだ人や、書いた子のお身内や、小さい子のいる親御さんなどは消したくなっても無理はない、とも思います。子どもが平均的に生きれば、「また一緒にお砂場で遊」べるのは数十年後のはずですからね。
末筆ながらご遺族のご心痛が少しでも休まりますよう、そしてさとし君のご冥福をお祈りします。
第2話「怖い体験」
もう30年位前の話になりますが、当時学生だった私が運転する車で友人2人と計3人で夜中に訪れたのですが、敷地が広すぎて(当時は津田山霊園と呼んでいました)さとしちゃん像がどこにあるのかわからず、敷地内に案内図があったので助手席にいた友人に見てきてと頼みました。
了解した友人がドアを開けようとしましたが開かないのです。ロックが掛かってるんだろうと思い確認しましたが、掛かっていません。
3人共にそれだけでビビり始め、スポット巡りは中止して敷地外に出ようと決めて車を走らせましたが、また不思議な事に、右折や左折をしてもすべての道で逆風の強めの風が吹いていたのを3人で確認し、ますます怖くなりなりながらもなんとか敷地外に出れる寸前で車の挙動がおかしくなりました。しかし、怖さもありすぐには車から降りられず、敷地外に出てから降りました。
車を確認すると、なんとタイヤがいっきに3本パンクです。(しかも、3人乗っていた箇所のタイヤで、運転席・助手席・助手席の後ろのそれぞれのタイヤでした)その晩は怖くて一睡も出来ませんでした。
翌日、修理屋さんに車を持ち込んで見てもらいました。ドア→何故かドア内部で棒状のパーツが外れていて開かなかったらしいですパンク→3本共に何か刺さった訳でもなく、自然といっきに空気が抜けてしまったらしいです(こんな現象は初めて見たと修理屋さんで言われました)タイヤは4本すべて交換してもらいました。
心霊スポット巡りはやはりばちあたりな事なのだと納得した経験でした。反省しきりです。
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この霊園には家族の墓があるから子供の頃から墓参りに行ってたけど、
年老いたさとしくんの両親らしき夫婦が参拝してる所を、たびたび目撃した。
最近では、もともと像があった場所も、台座ごと撤去されてしまった。
もう供養が済んだという両親の判断か、高齢で二人とも墓地まで来れなくなったのか。
おれが子供の頃は、像もちゃんと建っていて、その下に慰霊の文章が刻まれていた。
台座の前後に、二種類の文章がな。
表側(道路側)には、「さとしくん、きこえるかい」みたいな、語りかけるような文。
裏側(池の側)には、写真にある通り、「善き子は 神の預かりものと 人は言うけれども」。
でも、そのうち像は撤去され、道路側の「さとしくん、きこえるかい」の部分は、写真一枚目を見ての通り。
「セメントで塗りつぶされてしまった」。
これは誰かがいたずらでやったのか、それとも遺族の判断で、心霊スポット感覚でやってくるDQNを騒がせない為にやったのか。
今でもわからない。
ちなみにその子が溺れた裏の池は、ちょっとした沼というか、水量の少ない小さな湿地みたいになっている。
彼が溺れてしまった昭和の時代には、もっと深かったのだろうか。
工事で水を抜いて安全な状態にした、というような話を親から聞いた気もするが。
今では、あそこで溺れる人はいないと思う。
名無し
引用:さとしちゃん像(緑ヶ丘霊園) - 全国心霊マップ