鹿屋市横山町切小田の墓地の近くの雑木林は幽霊が出る心霊スポットとしても知られています。鹿屋市横山町切小田の墓地の近くの雑木林で一体何があったのか、どんな心霊現象や事件が起きているのか。
鹿児島県にある鹿屋市横山町切小田の墓地の近くの雑木林で実際に体験した怖い話を紹介します。
第1話「行かないほうがいい」
和銅6年(713)大和朝廷は、日向国を割いて大隈国を分国した。郷土の隼人達は、大和の行政下で不満を募らせて、ついに養老4年(720)大隈国司陽候史麻呂(やこのふのひとまろ)を殺害し、大反乱となった。続日本記によると翌年養老5年7月に至って隼人を平定したことを記している。「斬首捕虜合わせて千四百余人」とある。ここは征隼人持節大将軍大伴旅人が殺した隼人族の死体を埋めた場所ともいう。その後、殺した隼人達の供養の為に大和朝廷が死者の冥福を祈り、放生会(ホウジョウエ)を営んだという。後に秋の豊穣(ほぜ)祭りとして残っている。又、正平6年(1351)横山城合戦の折の両軍の戦死者を埋めた場所ともいう。
ここは首塚です。遊び半分では近づく場所ではありません。行かない事をオススメします。
鹿児島県の怖い話を探す
首塚ですか。ただ養老4年(720年)の隼人の反乱の首塚と言われている物は、霧島市国分重久の止上神社の近くの田んぼの中にある隼人塚だと聞いた事があります。
一般的には、隼人塚というと霧島市隼人町内山田にある隼人塚の方が国の史跡でもあり遥かに有名ですが、現在ではこちらは寺院跡だったという説が有力なようです。
一方国分重久の隼人塚は、現在は田んぼの中に石碑が建っているだけでほとんど知られていないと思いますが、江戸時代に編纂された三国名勝図会にも記載されています。
かつては鬱蒼とした森のようだったようですが、今は木などは全く無く遠くから見ると耕地整備の記念碑ぐらいにしか見えませんが、一応すぐ近くの道路沿いにこの隼人塚に関する霧島市教育委員会の案内板があります。
これによると隼人塚周辺は真板田(まないただ)、猪切薮(ししきりやぶ)といった地名も残っているようで、いかにも首塚との関連を思わせるような地名です。
まあどちらにせよこのような戦などによる悲惨な歴史のあるような場所には、面白半分に興味本位で近づいたりするのは避けたほうがよさそうですね。
名無し
引用:鹿屋市横山町切小田の墓地の近くの雑木林 - 全国心霊マップ